可音のブログ

なんとなし気が向けば書きます

泡沫

初めは小さなコップの中にいた。

色も味もなかった。

 

周りが透けて見えるほど繊細で透明だったそれに誰かがぽとりと一滴青い色を落とした。

しばらく表面に漂っていた青はやがてスッと溶けて見える世界を少し変えた。薄ら青い色になった自分を綺麗だと思ったかどうか、もう憶えていない。

 

しばらく世界を纏うように透かしていたら別の誰かがきて、また一滴ぽとりと今度は赤色を落とした。前と同じように赤色もしばらく表面を漂った後スッと溶けて私は薄ら紫色になった。綺麗だと思ったかどうか、やはり憶えていない。

 

そうしていろんな人が来て私にあらゆる色を落とした。綺麗な色や、濁った色。その頃には私は何が綺麗で何がそうでないのか何となくわかるようになっていた。綺麗な色だと嬉しくなったし、濁った色だと苦しくなった。何滴も何滴も落とされるうちに私はもう自分が何色か分からなくなった。少し苦しくて少し悲しかった。元どおり透明になる事は無理でも入ってくる色を薄める事は出来るはずだと思った私は今度はバケツくらいの器に入ることにした。そうすると少し濁りが薄くなっていくのが自分でもわかった。次からは出来るだけ綺麗な色を入れたいなと思った。

 

だけど私には蓋がないのでどうしても入って来る色を選ぶ事は出来なかった。出来るだけ綺麗な色をと思っていても誰かが勝手に濁った色を落としてしまう。綺麗な色は直ぐに溶けてしまうのに濁った色は表面を漂う時間が長くてなかなか薄まりにくい。そうやって表面を覆う色は他の色を見えにくくしてしまう。仕方がないので出来るだけ覆われなくする為に私はお風呂くらいの大きさの器に入ることにした。やはり自分が何色か答える事は出来ないけれど、もう誰かが落とした色に覆われる事はなくなった。そう安心していた。

 

そんな時……

 

誰かが私に大量の黒色を注いだ。

 

何も見えない。綺麗な色も、濁った色も、全ての色は消えてお風呂のような器に入った私の全身は黒に染まった。黒だけが残った。

 

とても苦しくて、とても悲しかった。

透明になりたくてなれなくて全てを流して消えたくなった。

 

 

 

 

でも、私はまだ自分の色を黒だと言いたくなかった。誰かを映したり誰かに染められるしかない自分。黒から抜け出せない自分。

 

いや違う。そんな事はない。

 

いくらだって薄めればいい。お風呂がダメならプールくらいの大きさにすればいい。そうして薄めて黒を別の色で上塗りすれば良い。消えなくても、苦しくても。

 

いや、もはや器はいらない。

 

 

海になるのだ。

どんなに色を足されても、涙でしょっぱくなっても、海のようになれれば。

 

変わりゆく空を映して、光で色を変えながら、掬えば透明で、深海に黒を沈めて。

 

魚が泳ごうが、船が渡ろうが、構わないのだ。

凪であろうが、荒れ狂おうが、自由なのだ。

 

色なんて勝手に言わせておけばいいのだ。

自分の色を決めてしまう必要など初めからなかったのだ。

 

私は海であろう。

 

たまにはこんな泡沫を浮かべながら。