可音のブログ

なんとなし気が向けば書きます

随分とお久しぶりです。驚きました。まさか再びご対面する事になるとは思わなかったのです。

いかがお過ごしでしたか?愛する人は見つけましたか?答え合わせのつもりなんてありません。ただそうであったら良いなと身勝手にも思ってしまったのです。

 

増えている筈の日々の記憶は、結局手持ちの物以外脳の隅に追いやってしまって、私が気付かないうちに緩やかに些細なものから消去されていきます。ですが、こうして貴方を目の前にすると不思議とどこからともなくあの日々の全てが呼び戻されて、心を支配するのです。狂おしいほど鮮明に。

 

人生の中で共に過ごした日々は2年と少しでしたが、今日まで私があるのは紛れもなく貴方の言葉達が私を支えてくれたからです。何も持たずこの世に転び出て、不器用に生きていた私に「生きる事は表現する事だ」と教えて下さったのは貴方でした。自我が恥ずかしくて嗤って誤魔化した事を真剣に叱って下さったのは貴方だけでした。

そう確か茄子の味噌炒めに少量のお酒を入れた方が豊かな味になる事や、秋刀魚やサザエのはらわたの旨みなんかに例えて、人生を味わい尽くすコツのようなモノを話して下さいましたね。真剣に話して下さっていたのに、例えがいつも料理だった事が妙にツボに入って本筋はあまり覚えておりません。今になってちゃんと聞いておけば良かったと後悔してもしかたないですね。

 

未熟さを気取られぬまま、順風満帆を装ってここまで来たのに、しかし今こうして貴方と向き合うとそのどれもが脆く崩れ落ちるようで怖いです。貴方の様に常に自我を認めてこなかったから制御不能な衝動を押し留めようと必死です。もう叶わない事だとわかっていても「生きる事は表現する事だ」ともう一度言って欲しいのです。

 

今になってようやっと「普通」など何一つ私を救ってくれないのだとわかりました。もしもまた私が自我を蔑ろにしてそこに舞い戻ろうと図ったら私を叱って下さい。貴方に次会うときは誇れる様に、人生を味い尽くしてから参りますから。

 

安らかにお眠り下さい。

フリコフラレコ

蒸し暑く湿気の多い部屋。飲みっぱなしのビール缶。湿気を吸った布団。

 

 

私の痕跡は全て消せたかな?

 

 

時計を確認する。時刻は20時を少し過ぎてしまっていた。

 

 

 


彼との付き合いは3年、と私の中では長く付き合った方だった。年上で優しくておっとりした所が好きだった。誰にでも優しくて八方美人でヤキモチの一つも妬かない所が嫌いだった。

 

 

別れようと決意したのは女の勘だった。彼は浮気をしている。確証なんてないけれど3年付き合ってきてここ1ヶ月の内に起こった些細な変化の積み重ねが私にそう告げていた。確認なんてしたってどうせはぐらかされるし、追求するほどきっと自分の惨めさを実感してしまう。

 

 

だから何も告げずに彼の前から消えることにした。怖い事に遭遇しないように。彼の闇を見ないように。自分の彼への愛がこれ以上冷めてしまわないように。

 

 

彼はだいたい20時半くらいに帰宅する。


その前に完璧に私が3年間で染み付かせた全てを消してしまうのだ。跡形もなく。鈍感な彼でも気付くように徹底的に。

 

 

3年間で当たり前になった全てを消してしまえば当たり前が当たり前じゃなかった事に気づくはずだ。ひとつひとつ確かめるだろう。最初はサンダル、次は枕、コップ、漫画……。喪失感が彼を支配して私に確認の電話をかけてくるに違いない。二度と繋がらない番号とは知らずに。

 

 

想像して、そのドラマじみた展開に内心高揚感を感じながら彼の部屋を後にする。鍵をかけて、3年使ってきた合鍵に別れを告げて郵便入れに入れる。完璧だ。

 

 

雨上がりの夜道を街灯のオレンジが照らす。


舞台のライトのように思えた。今夜私は彼を絶望と失望のドン底に落とした仕掛け人だ。

 

 

カバンからイヤフォンを出し耳にはめる。スマホでお気に入りの曲を選び大音量で脳内に流し込む。私の中で渦巻く全ての感情はしかし、表から見た分には全く分からない。私の中だけで壮大に鳴り響くこの曲の様に。車の行き交うエンジン音も聞こえない。ただ雨の匂いとじっとりと張り付く空気は嫌でも感じざるを得なかった。

 

 

15分程そうして歩いて駅に着いた時すれ違う人々の手に握られているそれを見て、私は自分がたった一つミスをおかしている事に気がついてしまった。

 

 

傘を…彼の家の玄関前に傘を忘れてしまった事に。

 

 

なんという事だ。あれほど完璧にこなしたはずだったのに。

 

 

夕方まで雨が降っていて私は傘をさして彼の家に向かったはずだ。ただあの時はどこか気が急いていて、改札にカードをかざしたり、傘をさして歩いていたりといった普段当たり前にしている事は無自覚で行われていた。だから雨が上がっていた事も、傘を置き忘れた事も気づかなかったのだ。

 

 

当たり前は当たり前では無い……私が自覚してどうする!

 

 

仕方がない。もう一度取りにいくしかない。


もしかすると帰ってきた彼と鉢合わせしてしまうかもしれない。なんとマヌケなんだろう。


こういう所が杜撰なのだ。

 

 

しかし何故だろう、少しホッとしていたりもする。なんだかんだ3年も付き合ってきた相手と別れるのは私にとってもかなり痛手だったのだと遅れて理解する。当たり前の変化は誰にとってもそれなりに精神的に負担が大きいのだ。

 

 

計画は…失敗か……。

 

 

今更少し冷静になって考えてみると何という思い込みの激しさだろう。何の確証もないのにそうだと決め付けて勝手に被害者になって勝手に復讐した気になって勝手にザマアミロとまで思っていたのだ。アホすぎる、私。

 

 

15分かけて来た道を戻る。傘を置き忘れたせいで。いや、傘を置き忘れたおかげで……か。

 

 

ようやく彼の家に着いた時、旋律が走る。

 

 

 


玄関先の壁に立てかけたはずの傘が……無い。

 

 

あわてて部屋の明かりがついているかどうか確かめる。

 

 

ついている。ついて、揺らめいている。

 

 

 

 

 

2つの影が、揺らめいている……。

泡沫

初めは小さなコップの中にいた。

色も味もなかった。

 

周りが透けて見えるほど繊細で透明だったそれに誰かがぽとりと一滴青い色を落とした。

しばらく表面に漂っていた青はやがてスッと溶けて見える世界を少し変えた。薄ら青い色になった自分を綺麗だと思ったかどうか、もう憶えていない。

 

しばらく世界を纏うように透かしていたら別の誰かがきて、また一滴ぽとりと今度は赤色を落とした。前と同じように赤色もしばらく表面を漂った後スッと溶けて私は薄ら紫色になった。綺麗だと思ったかどうか、やはり憶えていない。

 

そうしていろんな人が来て私にあらゆる色を落とした。綺麗な色や、濁った色。その頃には私は何が綺麗で何がそうでないのか何となくわかるようになっていた。綺麗な色だと嬉しくなったし、濁った色だと苦しくなった。何滴も何滴も落とされるうちに私はもう自分が何色か分からなくなった。少し苦しくて少し悲しかった。元どおり透明になる事は無理でも入ってくる色を薄める事は出来るはずだと思った私は今度はバケツくらいの器に入ることにした。そうすると少し濁りが薄くなっていくのが自分でもわかった。次からは出来るだけ綺麗な色を入れたいなと思った。

 

だけど私には蓋がないのでどうしても入って来る色を選ぶ事は出来なかった。出来るだけ綺麗な色をと思っていても誰かが勝手に濁った色を落としてしまう。綺麗な色は直ぐに溶けてしまうのに濁った色は表面を漂う時間が長くてなかなか薄まりにくい。そうやって表面を覆う色は他の色を見えにくくしてしまう。仕方がないので出来るだけ覆われなくする為に私はお風呂くらいの大きさの器に入ることにした。やはり自分が何色か答える事は出来ないけれど、もう誰かが落とした色に覆われる事はなくなった。そう安心していた。

 

そんな時……

 

誰かが私に大量の黒色を注いだ。

 

何も見えない。綺麗な色も、濁った色も、全ての色は消えてお風呂のような器に入った私の全身は黒に染まった。黒だけが残った。

 

とても苦しくて、とても悲しかった。

透明になりたくてなれなくて全てを流して消えたくなった。

 

 

 

 

でも、私はまだ自分の色を黒だと言いたくなかった。誰かを映したり誰かに染められるしかない自分。黒から抜け出せない自分。

 

いや違う。そんな事はない。

 

いくらだって薄めればいい。お風呂がダメならプールくらいの大きさにすればいい。そうして薄めて黒を別の色で上塗りすれば良い。消えなくても、苦しくても。

 

いや、もはや器はいらない。

 

 

海になるのだ。

どんなに色を足されても、涙でしょっぱくなっても、海のようになれれば。

 

変わりゆく空を映して、光で色を変えながら、掬えば透明で、深海に黒を沈めて。

 

魚が泳ごうが、船が渡ろうが、構わないのだ。

凪であろうが、荒れ狂おうが、自由なのだ。

 

色なんて勝手に言わせておけばいいのだ。

自分の色を決めてしまう必要など初めからなかったのだ。

 

私は海であろう。

 

たまにはこんな泡沫を浮かべながら。

 

 

6月19日 (金)

漸く搬入が終わった。今から4時間ほど仮眠をとったのち再び荷を積み福岡へ戻らなくてはならない。身体は限界点に達しているが日課であるブログを綴らない事にはどうにも脳が休もうとしないので、昨夜の事を備忘録として書いておこうと思う。

 

昨夜21時頃、堅粕の交差点を右折する時に女を跳ねそうになった。積み込みが終わったばかりで今から東京まで夜道を走るのかと溜息をついた瞬間の事だった。幸い何事も起こらなかったのだが肝が冷えた出来事だった。

 

女は暗くてわからなかったが20代くらいのOLだったと思う。コロナの影響で中洲で飲み歩く者も少ないのでおそらくただの会社帰りだろう……が、どうだろう。女は交差点の歩道ギリギリにいた。あの時間他に人影もないので、仕方なしにというより無意識にそこに立ったのだろう。問題は彼女の隣に子供の姿があった事だ。

 

どうして子供を連れた母親があんな歩道ギリギリに立っていたのか。

 

家にも小さな坊主がいるが、嫁はいつも必ず手を繋いで道路に飛び出さないように見張っているし、交差点では歩道にある点字ブロックより外側には立たない。パッと見ではあるが女の横にいた女児はうちの坊主と変わらないくらい…おそらく幼稚園児くらいの年齢だと思われる。

だとするならば尚更なぜあんな場所に立ったのか。

 

右折する際確認した時にはもう少し手前で立ち止まっていたはずなのに……。

 

今のご時世共働きも少なくない。あんな時間に子供とあんな場所にいたのは仕事終わりに託児施設に迎えに行った帰りだろうと考えるのが妥当だ。だがどうしてか、そうではないような気がしてならない。一瞬しか見ていないのに不気味に目蓋の裏に張り付いた光景……その中に親子の気配が読み取れないのだ。

 

あの女はなんだ。全く子供に気遣う素振りが無かったではないか。

あの子供はなんだ。夜道に平然と真正面を見据えて立っていたあの子供は……

 

未だ梅雨だ。夏はまだもう少し先だ。

幽霊なんて、早すぎる。

 

とにかく次の出荷までしっかり仮眠をとろう。

疲労で見た幻覚かもしれないから。

オレンジ

跳ねられたかと思った。鼻先すれすれを大型トラックの荷台が掠めた。あと少しでも前に出ていたら終わっていた、なにもかも。

トラックはクラクションを鳴らさなかった。辺りは私だけ残して静かな夜を装っていた。街路樹も信号も頭上に伸びた高速道路も虫の音も、みんな何事もなかったかのように知らんふりを決め込んでいる。昼間に降った雨で濡れたアスファルトが不気味に鈍くオレンジの街灯を反射して光っていた。

 

結果として無傷だったのだが、あの時下手したらと思うと心臓が騒ぐ。中学生の頃あんなに望んでいた死を神様が今になって突然に叶えようとしているのかなどと迷信めいた妄想まで巡る。だとするならば取り消して頂きたい。確かにどこかで生死に関わる劇的な日常を送ってみたいという願望がないわけじゃない。学生時代流行ったノストラダムスの大予言のような地球規模で起こる有り得ない生命の危機ならば、ほんの少し体験してみたいと思う。だが大型トラックはいただけない。人間だと実感し過ぎてしまう。いつ死んだって不思議じゃない生き物なんだと思い知らされてしまう。

 

だから余計な事をしてしまうんだ。

 

かけてはいけない電話番号を眺める。たったさっき死にかけたせいで、常ならぬ選択肢を選びそうになる。どうなるかなんて想像に難くないのに、かけた瞬間から後悔するのに、自問自答が良くない方向に向かう。

 

死にそうになったのに出来ない事ってなんなんだ。

死んでいたら本当に二度と叶わない事で、生きていれば不可能ではないはずなのに。不可能ではないのに。

 

 

表示された名前と番号。

 

画面上をさまよう指。

 

 

 

……………押してしまった…。

 

 

 

「はい。」と応えた久々に聞いた声。小さくて掠れていて疲れ切った声。いつまで経っても他人行儀で私を必要としない閉ざされた声。

 

ごく当たり前の白け切った今をこうなるとわかっていても、もしかしたらって賭けに出たくなる。げに恐ろしきは女の業とはよく聞くが女は無駄に予想をして当ててしまう日々に疲れているのだ。まさにこの選択がそう。

 

あの街路樹や信号や高速道路や虫と変わらない。同じ世界線同じ時間軸で生きているのに向こう側にいる。声の温度が下がる。

 

 

残ったものは…。

 

何気初ブログw

例のブログ、読みました。

 

まず最初に問いに対して答えます。私なら「よっしゃああああああっ!!ラッキーー!!」ってなるね。なるどころか匂わせたくて呟いちゃうよね。

 

性欲だろうがなんだろうが自分に向くんだったらなんだっていいと思う。相手に合わせる事を躊躇ったりもしない。そこにいてくれるなら形なんて問わない。人生何が起こるかわからないんだから予め何かを予測出来たとしても大事で特別な今を全力で貪るね。

 

女はね自分で女を終わらせる事なんて出来ないよ。生きてる限りずっと女なんだよ。この先何も起こらないなんてどうしてわかるの?家のおばあちゃんなんて40代でじいちゃんと離婚して70歳の時に60歳から告られて付き合ってるよ?凄くね?

人生は波乱に満ち満ちているよ。諦めないでよ。まあ事情は全然知らんけど。(←後半長すぎて読んでないやつw)

 

だけどまあわかるよ。あんなに必死だったじゃん?あれなんだったの?ってなるくらい引く時はあっちゅーまだし、それでも気になってSNS見てたら誰かと匂わせツイートしてたりするじゃん?無理無理病む病む wwwこんな風に見せつけられるとこりゃこっちもやったるか?ってなって暴走しそうになったりね。数撃ちゃとは思うものの、数が増えたところで好きにはなれなくてただ面倒くさいだけっていうwww

 

んでなんだっけ?何が言いたかったか何かもう忘れちゃったけどとにかくこれ以上めんどい事を考えるな!全然素敵だしあたしは好きよ?

 

あと童貞が何かアレコレ書いてたけど(←普通に読んでないw)恋愛もセックスもした事ねーやつは取り敢えずデキる男になってから語れ?

恋愛感情向けられて眉毛一つ、アソコ一つ微動だにしなくなったら話くらいなら聞いたるわ。

 

でもまあ童貞も心配してる事だし、あのブログは消したほうがいいかも。相手にDMするんじゃダメなの?

 

ってか空リプならぬ空ブログとかヤバくない? wwwww斬新すぎ wwwww

 

え?ブログの終わらせ方とかわかんないw

バイバイでいいの?w

 

バイバーイ!! wwwww

 

 

警鐘

俄然やる気を削がれた。期待を裏切られ何かに手をつけようとも思わない。つまらない日常の中で彼女はこれから先の指針であり、安易に失いそうになる自尊心を優しく照らしてくれる灯台であった。道すがらすれ違う相手にすら嫌悪感を覚えるほどこの世界そのものに絶望している自分にとって、濁ることのない彼女の強き精神や何かをやり遂げる実行力は信用に足ると一目置いていた。それがついさっき、脆くも崩れ去った。

 

「哀しき暴論」などと大層な題名をつけて未練がましい長文のブログを大衆に撒いているのを見つけた。皆様はあのブログをどう思われただろうか。自分には全く理解できなかった。

 

まずもって問いたいのは何故恋愛などに片足を突っ込んでしまったのかいうことだ。本を読めば書いてある。TVをつければ聴きたくもないのに舞い込んでくる。恋愛感情が如何に不必要で精神的に害悪を及ぼすものなのか。散々見てきた筈だ。名高い文豪は恋に身を滅ぼし、電撃結婚をした芸能人は須く不倫に走る。しまいには不倫も恋だとかのたまう有様だ。

彼女にしても然りだ。全て予めわかっていながら身を投じたという。理解不能である。いや、この際言葉を選ばない。馬鹿だ。猿だ。いや猿だって予め察知できている危機くらい避ける事が出来る。ならば猿以下だ。

 

恋愛とはいうなれば性欲や所有欲をもっともらしく言い換えただけのものに過ぎない。自らの理想像を押し付け感情を美化し相手との感情のシンクロナイズを過度に信じる事により、相手と自分との間にある絶対的な相違を一時的に乗り越えた気になって欲を満たしたいだけなのだ。

これをいうと「お前だって両親の恋愛の賜物じゃないか」などというありふれた切返しをしてくる民が出てくるかもしれない。

彼らに言いたい。「だから恋愛など不要なのだ」と。冒頭にも書いた通りこの世界には絶望している。消耗していく精神と踏み潰されるだけの希望とありふれた未来をただこなしていくだけの日々に何の意味があるのか。両親の愚行によって生まれた自分は粗末にすることすらできない人生をただ粛々と全うしなければならない。

 

性欲なんぞに振り回されて恋愛などという偶像を取り繕って正常な判断を見失うという悪癖。実に馬鹿馬鹿しい。あのブログを書いた後彼女はダイレクトメールという窓口を閉ざしている。そもそも言いたい事が有るのであれば相手に直接ダイレクトメールで言えば事足りる筈なのに何故わざわざ我々の目に見えるところに晒したのか。

 

彼女に言いたい。もし貴女がこのブログを見ているのならば僕の言いたい事は伝わったと思う。

 

あんなブログはすぐに削除すべきだ。貴女の名誉の為に。