可音のブログ

なんとなし気が向けば書きます

オレンジ

跳ねられたかと思った。鼻先すれすれを大型トラックの荷台が掠めた。あと少しでも前に出ていたら終わっていた、なにもかも。

トラックはクラクションを鳴らさなかった。辺りは私だけ残して静かな夜を装っていた。街路樹も信号も頭上に伸びた高速道路も虫の音も、みんな何事もなかったかのように知らんふりを決め込んでいる。昼間に降った雨で濡れたアスファルトが不気味に鈍くオレンジの街灯を反射して光っていた。

 

結果として無傷だったのだが、あの時下手したらと思うと心臓が騒ぐ。中学生の頃あんなに望んでいた死を神様が今になって突然に叶えようとしているのかなどと迷信めいた妄想まで巡る。だとするならば取り消して頂きたい。確かにどこかで生死に関わる劇的な日常を送ってみたいという願望がないわけじゃない。学生時代流行ったノストラダムスの大予言のような地球規模で起こる有り得ない生命の危機ならば、ほんの少し体験してみたいと思う。だが大型トラックはいただけない。人間だと実感し過ぎてしまう。いつ死んだって不思議じゃない生き物なんだと思い知らされてしまう。

 

だから余計な事をしてしまうんだ。

 

かけてはいけない電話番号を眺める。たったさっき死にかけたせいで、常ならぬ選択肢を選びそうになる。どうなるかなんて想像に難くないのに、かけた瞬間から後悔するのに、自問自答が良くない方向に向かう。

 

死にそうになったのに出来ない事ってなんなんだ。

死んでいたら本当に二度と叶わない事で、生きていれば不可能ではないはずなのに。不可能ではないのに。

 

 

表示された名前と番号。

 

画面上をさまよう指。

 

 

 

……………押してしまった…。

 

 

 

「はい。」と応えた久々に聞いた声。小さくて掠れていて疲れ切った声。いつまで経っても他人行儀で私を必要としない閉ざされた声。

 

ごく当たり前の白け切った今をこうなるとわかっていても、もしかしたらって賭けに出たくなる。げに恐ろしきは女の業とはよく聞くが女は無駄に予想をして当ててしまう日々に疲れているのだ。まさにこの選択がそう。

 

あの街路樹や信号や高速道路や虫と変わらない。同じ世界線同じ時間軸で生きているのに向こう側にいる。声の温度が下がる。

 

 

残ったものは…。