可音のブログ

なんとなし気が向けば書きます

フリコフラレコ

蒸し暑く湿気の多い部屋。飲みっぱなしのビール缶。湿気を吸った布団。

 

 

私の痕跡は全て消せたかな?

 

 

時計を確認する。時刻は20時を少し過ぎてしまっていた。

 

 

 


彼との付き合いは3年、と私の中では長く付き合った方だった。年上で優しくておっとりした所が好きだった。誰にでも優しくて八方美人でヤキモチの一つも妬かない所が嫌いだった。

 

 

別れようと決意したのは女の勘だった。彼は浮気をしている。確証なんてないけれど3年付き合ってきてここ1ヶ月の内に起こった些細な変化の積み重ねが私にそう告げていた。確認なんてしたってどうせはぐらかされるし、追求するほどきっと自分の惨めさを実感してしまう。

 

 

だから何も告げずに彼の前から消えることにした。怖い事に遭遇しないように。彼の闇を見ないように。自分の彼への愛がこれ以上冷めてしまわないように。

 

 

彼はだいたい20時半くらいに帰宅する。


その前に完璧に私が3年間で染み付かせた全てを消してしまうのだ。跡形もなく。鈍感な彼でも気付くように徹底的に。

 

 

3年間で当たり前になった全てを消してしまえば当たり前が当たり前じゃなかった事に気づくはずだ。ひとつひとつ確かめるだろう。最初はサンダル、次は枕、コップ、漫画……。喪失感が彼を支配して私に確認の電話をかけてくるに違いない。二度と繋がらない番号とは知らずに。

 

 

想像して、そのドラマじみた展開に内心高揚感を感じながら彼の部屋を後にする。鍵をかけて、3年使ってきた合鍵に別れを告げて郵便入れに入れる。完璧だ。

 

 

雨上がりの夜道を街灯のオレンジが照らす。


舞台のライトのように思えた。今夜私は彼を絶望と失望のドン底に落とした仕掛け人だ。

 

 

カバンからイヤフォンを出し耳にはめる。スマホでお気に入りの曲を選び大音量で脳内に流し込む。私の中で渦巻く全ての感情はしかし、表から見た分には全く分からない。私の中だけで壮大に鳴り響くこの曲の様に。車の行き交うエンジン音も聞こえない。ただ雨の匂いとじっとりと張り付く空気は嫌でも感じざるを得なかった。

 

 

15分程そうして歩いて駅に着いた時すれ違う人々の手に握られているそれを見て、私は自分がたった一つミスをおかしている事に気がついてしまった。

 

 

傘を…彼の家の玄関前に傘を忘れてしまった事に。

 

 

なんという事だ。あれほど完璧にこなしたはずだったのに。

 

 

夕方まで雨が降っていて私は傘をさして彼の家に向かったはずだ。ただあの時はどこか気が急いていて、改札にカードをかざしたり、傘をさして歩いていたりといった普段当たり前にしている事は無自覚で行われていた。だから雨が上がっていた事も、傘を置き忘れた事も気づかなかったのだ。

 

 

当たり前は当たり前では無い……私が自覚してどうする!

 

 

仕方がない。もう一度取りにいくしかない。


もしかすると帰ってきた彼と鉢合わせしてしまうかもしれない。なんとマヌケなんだろう。


こういう所が杜撰なのだ。

 

 

しかし何故だろう、少しホッとしていたりもする。なんだかんだ3年も付き合ってきた相手と別れるのは私にとってもかなり痛手だったのだと遅れて理解する。当たり前の変化は誰にとってもそれなりに精神的に負担が大きいのだ。

 

 

計画は…失敗か……。

 

 

今更少し冷静になって考えてみると何という思い込みの激しさだろう。何の確証もないのにそうだと決め付けて勝手に被害者になって勝手に復讐した気になって勝手にザマアミロとまで思っていたのだ。アホすぎる、私。

 

 

15分かけて来た道を戻る。傘を置き忘れたせいで。いや、傘を置き忘れたおかげで……か。

 

 

ようやく彼の家に着いた時、旋律が走る。

 

 

 


玄関先の壁に立てかけたはずの傘が……無い。

 

 

あわてて部屋の明かりがついているかどうか確かめる。

 

 

ついている。ついて、揺らめいている。

 

 

 

 

 

2つの影が、揺らめいている……。