《カラーンコローン》
平日昼下がりの喫茶《カカリコ》は閑散としていた。
カウンター8席にテーブル席4卓という小ぶりな作りでありながらオリエンタルな色調の雰囲気のいい店で、店内には珈琲の香ばしい香りが充満している。
カウンターにマスター1人と常連客が2人、テーブルにマダム達が3人いるが、気にならない程度の声量だ。
奥のマダム席から1席空けて2人は座った。
マスターの奥様らしきご婦人がメニューを伺いに来たので、京太郎はブレンドコーヒーを、久遠はサイダーとショートケーキを頼んだ。この店のショートケーキが絶品である事を久遠は物心つくかつかないかの時から知っていたのだった。
「プロデューサー、何でいつも珈琲なんじゃ?子供舌なんじゃから無理せずジュースを頼めばええものを。」
家の者に見られていない場所に来るとつい砕けた話し方をしてしまうのだが、これが話やすいんだから仕方がないと久遠は半ば開き直っていた。
「その場所に相応しいものを頼むというのが大人というものです。」
こんなにキリッとやせ我慢をされるとそれ以上は何も言えない。
確かに、出会いの日こそおかしな風貌だった彼も、次にあった時から今に至るまで身なりの整った立派な大人の男性を演出している。
初めて両親に挨拶に来た時などは一層凛々しかった。貿易商を営んでいて人を見る目が肥えたあの父でさえ「米倉くんならば安心だ」と太鼓判を押したほど口調も滑らかで実にジェントルメンだった。
(狸め…)
久遠が内心悪態をついたところで京太郎はふわりと笑った。
「ところでようやく準備が整ったので早速活動に移ろうかと思っています。」
「おおっ!遂にか!」
「ええ、随分とてこづって貴女をお待たせしてしまいました。思えば出会ったのが2月、今は4月で桜の頃ですからねぇ。」
「して、わしは何をすれば良いんじゃ?」
「平たく言えば自己紹介です。ただまだ此方の世界からあちらの世界に送れる容量が限られてまして…ちなみに僕が手を加えてお渡した《例のモノ》使ってみましたか?」
「それならば今朝も…あくせす?してみた…んじゃけど、アレ難しいのぉ〜。あともう少しでどうにか入れそうなんじゃけど…。」
「やはり一度僕が見に行く必要がありそうですね。しかして貴女のお宅はどうにも人目が厳しくていけない。」
そこまで話したところで頼んだ物が運ばれてきて、久遠はひんやりと冷えたサイダーを喉に流し込んだ。続けてショートケーキを一切れ口に運ぶ。甘さが口いっぱいに広がり生クリームの香りが鼻腔をくすぐる。
幸せそうな久遠とは反対に京太郎は渋い顔で珈琲を口に含んだ。「美味しい」と言ってはいるが半ば自分自身に言い聞かせているようでもある。やはり苦いのだろう。
「前にも話したがわしの家は先代から続く貿易商での?一時期はスパイ疑惑をかけられた事もあるんじゃって。商売上こうした事はよくある事らしいんじゃけどな?わしにはよーわからん。」
ここまで話して一旦サイダーを飲む。
しゅわしゅわと心地いい刺激を喉に感じながら久遠は一段声を潜めて続けた。
「じゃがそのせいかわしの家には《隠し部屋》や《隠し入り口》なるものが所々にあるんじゃ。わしの部屋の隣にもあるんじゃよ?」
「ほうっ!」と京太郎も声を潜めつつ驚愕した様子で言った。
そうなのだ。久遠が母に呼ばれるまで居た《本棚の向こう側》の部屋こそ、まさしくその隠し部屋なのだ。幸い家の者が気づいている様子は今のところ無い。
「隠し部屋…隠し入り口…これはもしや夜這いのフラ………」
「何をボソボソと邪な妄想を垂れ流しとるんじゃあ?」
ジェントルメンは表向き、裏ではこの男大概なスケべであるという事を久遠は既に把握している。
コホン。と咳を一つして真面目ぶって京太郎が続ける。
「…ちなみに隠し入り口はどちらに?」
「……わしの部屋じゃが?」
「なるほど。鍵は付いてるんですか?」
「当たり前じゃ。わしが持っとるしこの事自体わし以外は知らんじゃろう。」
「その合鍵、僕に一つくれたりは…」
「する筈ないじゃろ。」
「しないかあぁっ……!」
盛大な溜息とともにテーブルにうつ伏せる京太郎を冷ややかな目で見て、久遠も溜息をついた。
「…冗談はさておき、本題なんじゃが…。
……プロデューサー?………プロデューサー??」
「あい…。何でしょう……?久遠たん。」
「……顔上げろ。でなければ帰る。」
一瞬で顔をあげ、佇まいを直し元のジェントルメン京太郎に戻った。
「それで本題とは?」
「………。まあいい。わしの部屋の隠し入り口は地下に続いとっての?道を挟んだ向かいの倉庫に繋がっとるんじゃ。ほれ、あの煉瓦造の。」
「成る程。つまり僕は偶々都合のいいタイミングで来たわけだ。お父様が不在で人が手薄。明日は休日で倉庫に人の出入りもない。加えて言うなら今晩は新月。つまり女中やお母様が寝静まった頃合いを見計らって《隠し入り口》を通り貴女の部屋へ伺えばよろしいのですね。鍵は今晩に限りあらかじめ開けておいてくださると。」
ふざけたかと思えばこれだ。
察しがいいと言うかなんというか…
「…ま、まあそういう事じゃ。うちは大体夜の10時頃には皆寝静まる。その頃にまた。」
「わかりました。ですが宜しいのですか?いくら理由があろうとも深夜に男を部屋へ招くなど貴女もお嫌でしょう?いくら紳士的で真面目で堅実な僕であっても、うら若き乙女の部屋に…」
「じゃあ来ないんじゃな?」
「行きます」
こうして密談は幕を閉じた。