朝、違和感を感じて目が覚めた。
昨夜なかなか寝付けなかったせいか頭が重い。
ベッドから起き上がりながら寝ぼけたまま、違和感の正体を探った。
しかし回転していない脳でいくら考えても埒があかず、仕方なく久遠はベッドから出た。
時計を確認する。今日は学校がある。
時刻は……7時半…………。
………ん?……7時半…?
「…………7時半じゃとっ⁉️いかんっ‼️遅刻じゃっ‼️」
久遠は寝ぼけ眼を擦り慌てて準備に取り掛かった。
ー数分後ー
「行ってきまーすっ‼️」
飛び出すように家を出ると門の前に待ち人1人。
高い位置に髪を一纏めに結った少女が自転車に跨っている。
「おはよう‼️凛音(りんね)‼️先に行ってて良かったのに。」
「おはよう、久遠。遅刻するわ。後ろに乗って。」
いつもの様に無表情で淡々とそう告げる凛音の申し出を有り難く受け自転車の後ろに跨る。
「つかまって。飛ばすわよ。」
言うが早いか自転車がまるでエンジンでも付いているかの様な速さで爆走し始めた。とはいえ特別な仕掛けなどない。久遠とは幼少期からご近所のよしみで親しくしていたこの凛音という少女が、ただ無表情に、座ったまま、汗ひとつかかず、猛スピードでこいでいるだけなのだ。
その間、凛音の長いポニーテールがしばしば顔面に張り付いたり口に入りそうになったりしたが、久遠は口をキュッと結びしがみついているのがやっとだった。
通常久遠と凛音は40分かけて歩いて通学する。
だが、今日は自転車と言えども早すぎるわずか5分で学校に到着した。どうやら遅刻は免れたようだ。
「着いたわ。」
「し…死ぬかと思った…。」
寝起きの久遠には鼻呼吸だけで過ごす高速二人乗りは呼吸困難を伴う危険なひと時だった。
クラクラと目眩をおぼえる久遠とは反対に凛音はその名の通り凛として涼しげな表情だ。
「では行きましょうか。始業ベルまであと3分を切っているわ。」
「…ちょ…まっ…」
「それとひとつ気になっていたのだけれど。」
今にも走り出さんとしていた凛音が未だ呼吸の整わない久遠を振り返って言った。
「貴女、太腿のキャラメルどうしたの?」
久遠が席に着いたと同時に始業ベルがなった。
担任の男性教諭が入ってきて出欠をとりはじめる。
久遠は1人教室の左側最後尾の席で思案していた。
今朝感じた違和感の正体は正しく太腿のキャラメルが無い事に対して感じたものだった。常備品であり、と同時に物心付いた時からの習慣で装備していたそれはもはや久遠の一部と化していたのだ。
(昨夜寝る前には確かにあったのに…)
そう彼女は入浴時以外、寝ている間さえそれを外すことは無い。
(キャラメル事件の犯人の仕業?でも何故わざわざわしの常備品を…わしが寝ている間に忍びこんで?…)
久遠は想像して背筋が凍りついた。
「…くりや。御来屋?御来屋久遠!」
「!!っはいっ!?」
「春だからって寝ぼけていないでシャキッとしなさい。」
(そうだった。今は出席確認中だった。失念失念。)
そう反省したものの、それから昼休みまでの間その事が脳裏にちらつき久遠は悩まされ続けた。
ー昼休みー
「かくかくしかじかイトウヨーカドーサトウココノカドー」
「成る程、つまり今御来屋邸では4つ事件が起きているわけね?一つはかの学園新聞にも取り上げられた「化け猫事件」もう一つは一週間前貴女からきいた「キャラメル紛失事件」さらに今しがた初めてきいた「謎の女の声」それと今朝発覚した「常備キャラメル紛失事件」」
慌てて家を出た為、昼食を持ってこられなかった久遠に自身が持参したおそらく手作りであろうおにぎりを1つ渡しながら凛音が確認する。
「怖いじゃろ?怖いじゃろ?もうわしあの部屋で寝るの嫌じゃ!!」
ぷるぷる震えつつパクリっとおにぎりを一口頬張りながら久遠は答えた。本音を言えば微妙に違う。京太郎の件と《隠し部屋》の件を伏せているからだ。その為声を聞いたのは自分で、聞こえたのは自室の上の方からと説明したのだった。
「妙…ね。貴女何か隠し事してるわね。」
どんな時でも変わらない表情は、こういう時やけに冷たく恐ろしく見える。見透かされているような気分になって、久遠は無自覚に半音上がった声で答えた。
「何が…じゃ?わしが凛音に隠し事する理由なぞなかろ……」
「では何故、同じ頃起こった「女の声」の話を今まで私に隠していたの?」
大袈裟かもしれないが、喉元に短剣を突きつけられたような錯覚をおぼえた。
「それは…あの日は「化け猫事件」もあったし混乱していて、女の声も気のせいなのかもしれないと思って…。」
「それだけじゃないわ。その化け猫事件も私が知ったのは学園新聞に載っていたものを読んだから。同時期に起こった3つの事件のうち1つしか話さないのはどう考えても不自然…違う?」
「…凛音を…心配させたくなくて。ほら!一度に話すと不安になるじゃろ?じゃから…」
「耳…ピクピクしてるわ。貴女が嘘をつく時の癖ね。」
「!!」
「良いわ。話したくない事を無理に聞いたりはしない。色々大変そうだけれど気をつけてね。」
相変わらず表情は読めないけれど、その目が一瞬鋭く光った様な気がした。
帰宅後、少し落ち着こうとテラスにてティータイムを楽しみながら女中の茜と話していた久遠はある話をきいてギョッとした。
「厨房の棚を鍵付きに変えたじゃと?」
「はい。奥様が大変気味悪がられて…。それで昨日注文していた棚が届いたので今は鍵付きなのです。お陰様で今朝確認したらキャラメルは消えていませんでした。私達もとりあえずホッとして…ネズミの仕業だったのかしら?なんて話していたのですよ。」
流石、良家の出自である母はこういう時仕事が早い。家具にしろ服にしろ電話一本で駆けつける顔馴染みが多いのだ。
(それにしても…鍵付きに変えていたとは…)
これで今朝の事件の説明がつく。
つまり、昨夜またキャラメルをくすねようと厨房に忍び込んだ犯人は棚に鍵がかかっていた為盗むに盗めず、とうとう久遠のなけなしの常備品に手を出した…と。
(そこまでするか?普通…)
「あ、それとお嬢様。客間ってお使いになりましたか?」
客間とはお客人が来た時に応接する為の部屋の事で、御来屋邸では主に宿泊用として用意されている。久遠の部屋がある棟の2階に2部屋あり、普段は使われていない。
「いや?使っとらんが?」
「そうですよね。失礼致しました。実は今朝客間に清掃に入ろうとしたら既にかぎが開いてまして。一応聞くように奥様に言われたのでお伺いしました。客間の清掃は二週間に一度となっておりまして、一体いつから開いていたのかわからないのです。」
それを聞いて久遠はいよいよ確信した。
キャラメル事件と女の声と今朝の出来事は繋がっていると。幽霊か何かだと思っていた女は本当にいて、今も客間の何処かに潜んでいる。そしてその女がキャラメル事件の犯人である。
(実証せにゃならんな。今夜全てを明らかにしてやる‼️)
久遠は密かにそう決意した。